最高裁判所第二小法廷 昭和61年(オ)851号 判決 1991年5月31日
上告人
若松芳也
右訴訟代理人弁護士
前堀政幸
関田政雄
佐古田英郎
坂元和夫
杉山彬
出口治男
山下潔
湖海信成
宿敏幸
杉谷義文
尾藤廣喜
西岡芳樹
三上孝孜
桐山剛
伊勢谷倍生
中道武美
武村二三夫
矢花公平
中村亀雄
田平藤一
根元孔衛
上田国広
小高丑松
杉野修平
伊藤和夫
松波淳一
武田貴志
武田峯生
土生照子
木上勝征
高橋敬幸
浅井正
内田雅敏
浅野元広
佐々木斉
浦功
一軸浩幸
南逸郎
渡辺義次
上野勝
石橋一晁
大野康平
寺沢勝子
三木俊博
高階貞男
阪口徳雄
吉川実
水野武夫
川西渥子
大槻守
太田隆徳
竹川幸子
田中幹夫
井上善雄
豊川義明
下村末治
高階叙男
山元康市
青木永光
大江洋一
辻公雄
西川道夫
中西裕人
谷田部三郎
川崎壽
植垣幸雄
被上告人
国
右代表者法務大臣
左藤恵
右指定代理人
小鷹狩正美
被上告人
滋賀県
右代表者知事
稲葉稔
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人前堀政幸、同関田政雄、同佐古田英郎、同坂元和夫、同杉山彬、同出口治男、同山下潔、同湖海信成、同宿敏幸、同杉谷義文、同尾藤廣喜、同西岡芳樹、同三上孝孜、同桐山剛、同伊勢谷倍生、同中道武美、同武村二三夫の上告理由第二点について
所論の点に関する原審の認定判断及び措置は、原判決挙示の証拠関係及び記録に現れた本件訴訟の経緯に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は原審の裁量に属する審理上の措置の違法をいうものにすぎず、採用することができない。
同上告理由のその余の点について
本件の一般的指定の適否に関して、原審が捜査機関の内部的な事務連絡文書であると解して、それ自体は弁護人である上告人又は被疑者に対し何ら法的な効力を与えるものでなく、違法ではないとした判断は、正当として是認することができる。
弁護人又は弁護人を選任することができる者の依頼により弁護人となろうとする者(以下「弁護人等」という。)と被疑者との接見交通権が憲法上の保障に由来するものであることにかんがみれば、刑訴法三九条三項の規定による捜査機関のする接見又は書類若しくは物の授受の日時、場所及び時間の指定は、あくまで必要やむを得ない例外的措置であって、右指定に当たっては、被疑者が防御の準備をする権利を不当に制限されることがないように配慮することは当然である。したがって、捜査機関は、弁護人等から被疑者との接見等の申出があったときは、原則としていつでも接見等の機会を与えなければならないのであり、これを認めると捜査の中断による支障が顕著な場合には、弁護人等と協議してできる限り速やかな接見等のための日時等を指定し、被疑者が弁護人等と防御の準備をすることができるような措置を採るべきである(最高裁昭和四九年(オ)第一〇八八号昭和五三年七月一〇日第一小法廷判決・民集三二巻五号八二〇頁)。そして、右にいう捜査の中断による支障が顕著な場合には、捜査機関が、弁護人等の接見等の申出を受けた時に、現に被疑者を取調べ中であるとか、実況見分、検証等に立ち会わせているというような場合だけでなく、間近い時に右取調べ等をする確実な予定があって、弁護人等の必要とする接見等を認めたのでは、右取調べ等が予定どおり開始できなくなるおそれがある場合も含むものと解すべきである。
捜査機関は、弁護人等から被疑者との接見の申出を受けたときは、速やかに当該被疑者についての取調状況等を調査して、右のような接見等の日時等を指定する要件が存在するか否かを判断し、適切な措置を採るべきであるが、弁護人等から接見等の申出を受けた者が接見等の日時等の指定につき権限のある捜査官(以下「権限のある捜査官」という。)でないため右の判断ができないときは、権限のある捜査官に対し右の申出のあったことを連絡し、その具体的措置について指示を受ける等の手続を採る必要があり、こうした手続を要することにより弁護人等が待機することになり又はそれだけ接見が遅れることがあったとしても、それが合理的な範囲内にとどまる限り、許容されているものと解するのが相当である。
これを本件についてみるに、原審の適法に確定した事実によれば、上告人が事前連絡なくして突然午前九時一五分ころ草津警察署に赴き、留置主任官である東谷警務課長に代用監獄に留置中の被疑者との接見の申出をしたところ、同課長が大津警察署に電話をし、捜査主任官である竹田刑事官を通じて当該事件における権限のある捜査官である松本検察官に対し、右接見の申出を伝えて指示を仰ぎ、これを受けた同検察官は、「上告人から検察官に電話するよう伝えてほしい。」旨の指示を竹田刑事官を通じて午前九時四三分ころ東谷課長に電話連絡をしたが、上告人は、既にその約三分前に草津警察署を退去していたというのであるから、原審確定に係るその余の諸事情をも考慮すれば、右接見申出時からその回答までの一連の手続に要した時間(約二八分)は、前記の合理的な範囲内にとどまるものとして許容されるというべきであり、その間、上告人が待機せざるを得なくなり被疑者との接見が遅れたとしても、右東谷課長及び松本検察官の措置が上告人の弁護権等を侵害する違法なものであるとはいえない。これと結論を同じくして被上告人らの責任を否定した原審の判断は、是認することができるので、原判決に所論の違法はなく、右違法のあることを前提とする所論違憲の主張も失当である。論旨は、独自の見解に基づいて原判決を論難するにすぎず、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官藤島昭 裁判官中島敏次郎 裁判官木崎良平 裁判官香川保一は、退官につき署名押印することができない。裁判長裁判官藤島昭)
上告代理人前堀政幸、同関田政雄、同佐古田英郎、同坂元和夫、同杉山彬、同出口治男、同山下潔、同湖海信成、同宿敏幸、同杉谷義文、同尾藤廣喜、同西岡芳樹、同三上孝孜、同桐山剛、同伊勢谷倍生、同中道武美、同武村二三夫の上告理由
第一、はじめに
一、原判決は、弁護人等の接見交通権と刑訴法三九条三項の関係につき、「弁護人等の被疑者との接見交通権は弁護人等の最も重要な固有権の一つであり、従って、刑訴法三九条三項の接見等に関する指定は必要やむをえない例外的措置であって、弁護人等から接見の申出があったときは、原則として何時でも接見の機会を与えなければならない」旨の基本的な判断をなすが、右判断は異論をみないところである。
しかしながら、右に続く一般的指定制度の有する意味、内容、効果及びその違法性の有無、並びに本件における接見拒否の実情についての判断に及ぶや、原判決は接見交通権に関する右の基本的原則を無視し、これと遊離し相矛盾した論理を展開しており、また、刑訴法三九条三項の具体的な解釈に関しては一言も触れないなど、到底納得できるものではない。
二、一般的指定制度の持つ意味、内容や効果についての原判決は、単に被上告人の主張の塗り直しをそのまま判断として示すのみであって納得できる理由付けが全くなされていないが、それは、上告人が本訴において主張し、また、従来多くの抗告審や国賠訴訟等において何度も繰り返し主張されてきた一般的指定の持つ接見交通権侵害の実情に関しては、これを一顧だにしない誠に不当な審理態度に起因するものといわなければならない。証拠に現れた実情を丹念に調査検討し、これを直視するならば、本件第一審判決において判示されているように、一般的指定がなされている場合には、接見交通権は自由に行使できなければならないとの原則があるにもかかわらず、具体的指定がない限り接見しえないのが実情であって、正に原則と例外が転倒していることは直ちに明らかである。
しかしながら、原審は事実に対する真摯な審理態度を怠り、表面的に結論のみを繕ろおうとした結果、右実情に対する正当な認識を欠き、一般的指定制度に内在する最も重要な点を見落としたはなはだ皮相的な判断に陥ってしまっている。そして、結局、このことは取りもなおさず、冒頭に掲げた接見交通権の重要性に関して、原審がこれを真に理解していなかったことを端的に示す証左であるといえよう。自由なる接見交通が被疑者にとって如何に重要であり、その保障は憲法に由来するものであること、そしてそのことは弁護人にとっても最重要な固有権であることの意味を真に理解し、接見指定制度は本来自由であるべき接見交通権と身柄が拘束された被疑者の捜査には時間的制約があることを調整するために、やむなく設けられた例外的措置であることを正確に把握していたならば、一般的指定制度が弁護人の接見交通権を如何に侵害しているか、また、その原因は何なのか等についての検討を避けてとおることはできず、これを正当に判断するならば一般的指定に関する原判決の結論は導きえない。原判決は、接見交通権の基本的原則に関する判断とその適用の場における論理の展開が矛盾しており、理由に齟齬がある。
三、次に、原判決は刑訴法三九条三項の解釈については何らの判断も示していないことが指摘されねばならない。同条項が如何なる内容を規定したものであるかが本訴の理論面における最大の争点であり、上告人が現に接見できなかった事実を法的に評価する場合の必要不可欠な前提である。ところが、原判決は被疑者留置規則二九条二項という刑訴法より下位の規則を根拠として、留置主任者には指定のための判断権がない旨を簡単に結論づけているのみである。はなはだ杜撰な理論構成といわざるをえない。
弁護人の接見は本来自由である。それが制限されるのは、現に取調中であるとか、実況見分等に立ち会わせる必要がある等捜査の中断による支障が顕著な場合に限られ、この場合のみ、右接見交通権と時間的制約からくる捜査の必要性の調整として接見の日時等の指定が行われるのである。これを弁護人の立場からいうと、右のように具体的指定の要件の備わっている場合に、接見の日時等が制限されることのあることを受容しなければならないという点においてのみ、接見交通権は制限を受けるのである。すなわち、右以外には他に如何なる法律上の、或いは、事実上の制限や負担をも受けることはないということである。現に被疑者が勾留場所に在監し取調中でもない場合には、弁護人は即座に接見をなしえなければならない。取調中等でなければ、接見が実施されたとしても捜査に全く支障が生じうることがないことは、留置主任者において容易に判断しうるところであり、何ら捜査主任官や指定権者の指示を仰ぐ必要はない。このような具体的指定の要件の有無の判断が、留置主任者においても容易に判断しうることは第一審判決でも指摘されているところである。
にもかかわらず、被疑者が房の中にごろごろしていても即座に接見を認めず、待たされた挙句の果には「指定書を持参したか。」「指定書をもらってきて下さい。」とまで言われなければならない実情を、原審は如何に考えているのであろうか。刑訴法三九条三項の解釈に触れないで本件を判断することはできようはずがない。当事者の真摯な主張に対し、これに真正面から取り組まず、その判断を回避しようとする原審の不誠実な態度は全く承服し難い。
本来、検察と対等であるべき弁護権が、巨大な国家権力を前にして、日頃十分なる権利行使がなしえず、そのために計り知れない程多くの努力が強いられている現状のもとで、弁護活動にとって必要欠くべからざる基本権としての接見交通さえもが不当に制限されていることに対し、より深い現実認識の努力が裁判所においても図られるべきである。違法不当な接見拒否を受ける弁護士の心情と憤慨の念に関しても十分理解されねばならない。
四、基本的な権利である弁護人の接見交通権の侵害は、ただの一度であっても許されることではない。にもかかわらず、数えることさえできない程多数の侵害が繰り返されてきており、このことは接見拒否が単なる現場での個別的な違法行為としてたまたま生じているものでないことを明瞭に示すものであり、制度的、組織的背景を有することが明らかである。従って、「接見が制限された場合にそれらの措置の違法性を問えば足る」というような次元の問題でなく、制度化された接見交通権の侵害の事実を直視しなければならず、原審の理解の浅さには驚かされる。このような原審の接見交通権に関する理解と判断は昭和五三年の最高裁判決の趣旨にも悖るものである。
なお、現場における接見拒否処分の違法性が認められ、後刻その処分が取消されようとも、接見が出来なかった被疑者の不利益という現実は残り、並びに、それによって憲法上保障された弁護権が侵害されたという事実は消しようもなく、弁護人の経済的、時間的、また精神的な損害と苦痛は回復されることがないのである。先に述べたと同様、原審はこれに対する理解がなく、理解しようとする意欲もない。
五、右のような原審の不誠実な審理態度と接見交通権の重要性に関する理解不足は、上告人の損害発生自体を否定するというはなはだしい誤りを導くに至っている。右事実認定の誤りについては別途詳細に検討するが、第一審では双方の主たる争点となっていなかった右損害発生の有無の点につき、原告本人申請を採用することもなくその発生を否定するに至った経過は、到底審理を尽くしたとは言い難いものといわなければならない。
以下、次の論点を順次述べることにする。
第二、審理不尽について
一、<省略>
二、控訴審の審理は冒頭から、裁判官が、
「本件は、幸いにも被疑者に被害が発生したわけではなく」
とか、
「傍聴人も来ないのに、弁論は必要ない」
とか、
「玄人の争いはサラッと済ませたい」とか、発言し、予断をいだいてすぐ結審をしてしまいそうな雰囲気にあったので、上告人側としては控訴審において、裁判所に充分に審理を尽くさせるよう常に配慮せねばならない状態で、審理は進んで行ったのである。
三、昭和六〇年十二月十三日、上告人側は、どうしても必要な松本証人亀石証人を先ず申請(控訴審は過失が重大な争点となっていた)したところ、必要性なしと、不採用になった。
そこで、昭和六一年二月十七日に再度その採用を求めた。
控訴審の裁判所は、控訴人代理人らが約三〇分間にわたり、「民事裁判の諸問題」(有信堂)という村松俊夫著の中の「控訴審の審理」のところを引用までし、証人松本、同亀石の両証人尋問の必要性について弁論した後、合議をした上、右両証人を却下し直ちに弁論を終結する旨宣言した。これに対し、上告人側は異議の申立をしたが、裁判長は直ちに異議の申立を却下して、もう本日の弁論は終了している旨言い残して退廷した。
かような控訴人裁判官の訴訟指揮は、
第一に、裁判長は上告人において松本、亀石両証人の必要性を具体的に論証したにかかわらず、これを一顧だにしていないこと、
第二に、右両証人を却下するや直ちに弁論を終結して、上告人にその余の弁論(主張立証)の機会を与えなかったこと、において、極めて不当である。
上告人は、昭和六〇年一二月一三日及び昭和六一年二月一七日の二回の口頭弁論期日において、松本、亀石両証人の必要性について力説し、裁判所の理解を求めた。通常の不法行為訴訟においては、まず不法行為の実行者本人を最優先に証人尋問することが訴訟上の常道であるにもかかわらず、被上告人らは、まず一審において不法行為の実行者である松本証人の採用に反対し、控訴審においても同様に強く反対した。本件の主要争点の一つは、松本検事のなした行為の故意過失の有無であるから、松本検事こそ、双方にとって最重要の証人であることは疑いない。しかるに、被上告人らは、理由にならない理由を述べて、松本証人の採用に反対してきたものと言わざるを得ない。このような最重要証人について、一審における尋問が不充分ならば、当然に、控訴審において再度の証人尋問がなされるべきであり、これが、実務の常識である。しかるに、控訴審裁判所は、右重要証人の尋問請求を却下したことは、審理不尽のそしりを免れないのみならず、審理の公平さを疑わざるを得ないものである。
また、裁判長が松本、亀石両証人を却下決定するや、上告人代理人らが発言する間もなく直ちに弁論を終結したことは、右証人却下後の上告人の主張立証の機会を奪うものである。上告人らは、条理を尽くして説明したならば、松本、亀石の両証人は当審において採用されるものと信じており、右二月一七日を以って弁論終結になるものとは予想していなかった。まことに裁判所の弁論終結は不意打ちというほかないものである。
上告人としては、仮に、松本、亀石両証人が不採用となった場合には、これに代わる立証方法を考えなければならず、また、その時点での主張立証の不備欠陥の有無を改めて点検して、最終弁論に備えるつもりでいたのである。ところが、上告人の全く予想していない情況のもとで不意に弁論を終結されたため、上告人は最後の主張立証の機会をも奪われたのである。
一般的に、裁判所は弁論を終結する場合には、その直前の最後の言葉として「ほかに主張立証はないか。」と当事者に発問して、主張立証がないことを最終的に確認したうえ、「ほかに主張立証がなければ弁論を終結します」と宣言するものであるが、控訴審裁判所においては、このような当事者に対する確認すらせず、むしろ、かかる最終確認を故意に省略して、証人却下告知と弁論終結宣言の間に、上告人の弁論の時間的余裕さえも与えないようにして、「松本、亀石の両証人を却下して、弁論を終結します」と一気に宣言してしまった。このような不意打ちのアンフェアな訴訟指揮は法曹としての信義及び訴訟進行の常道に反するものである。
四、そこで、上告人等は、昭和六一年三月三日に、控訴審裁判官に対して弁論の再開を求め、せめて上告人と東谷正道を尋問する機会を与えられるよう要請し、かつ、その後も弁論再開の申出をしたが、弁論の再開はされず、判決はなされてしまったわけである。
五、右の如く、原判決は審理を全く尽くさずになされたものであり、破棄されるべきものである。
第三、一般的指定に関する判断の誤り
一、原判決は、まず一般的指定につき、それ自体違法ではないと解するのが相当であるとし、つづいて控訴人が接見申出をなした後の東谷警務課長及び竹田刑事官の執った、接見をさせなかった措置も違法ではなかったとし、控訴人が今しばらく草津署で待っていれば接見できたのに、同署を退去したため損害を蒙ったとしても、被控訴人らに責任はないとして控訴を棄却した。
しかし、原判決の右判断には憲法第三四条前段、及び刑事訴訟法第三九条の解釈を誤り、また、昭和五三年七月一〇日最高裁判所第三小法廷判決(上告人大阪府、被上告人杉山彬)の判旨に相反するものであって、右は判決に影響を及ぼすこと明らかであるので、破棄されねばならない。
二、憲法第三四条前段について
(一) 憲法第三四条前段は「何人も、……直ちに弁護人に依頼する権利を与えられなければ、抑留又は拘禁されない。」と定めている。
刑事訴訟法第三九条は、この憲法の規定に基づきこれを具体化したものである。従って、刑事訴訟法第三九条の解釈にあたっては憲法第三四条前段の規定にのっとりなされなければならない。
原判決も「刑訴法三九条一項に定める弁護人等の被疑者との接見交通権は、弁護人等の最も重要な固有権の一つであることはいうまでもなく」と述べている。しかしそこには憲法第三四条前段に由来する権利であることの指摘もなく、また「重要な固有権」とはいうものの、憲法の右規定に依拠して権利の内容を把握しようとするところがないため、控訴人の接見申出に対する公務員の拒否行為についてあれこれいい廻った末、結局違法はないとしてしまった。
(二) 憲法第三四条前段が保障する権利の内容は何か。
それは「直ちに弁護人に依頼する権利」である。憲法第三四条前段が明文をもってそのとおり規定している。
刑訴法三九条一項が、この弁護人依頼権を身体の拘束を受けている被告人または被疑者の弁護人等との接見交通権として具体化していることについては、何人もこれを承認するところであるが、この接見交通権を「直ちに」接見する権利として、理解しなければならないことも右に見てきたところから明らかといわねばならない。
この弁護人の「直ちに」接見する権利の解釈を憲法の規定の文言を無視したりこれと離れてしたりするなど到底許されないところである。
(三) 「直ちに」の解釈
「直ちに」の文言は、法令用語としてその意味内容は明らかである。
それは、「すぐに」「時を移さず、即座に」を意味する。時間的即時性を規定する法令用語には「直ちに」の他、「すみやかに」と「遅滞なく」の用語がある。しかしその中でも「直ちに」が最も強く即時性を表現する用語として用いられている。だから「直ちに」とある場合にはその懈怠が義務違反をひき起こすものとされるのである。
水防法第一八条は「水防に際し、堤防その他の施設が決壊したときは、水防管理者、水防団長又は消防機関の長は、直ちにこれを関係者に通報しなければならない」と規定している。
また、刑事訴訟法においても、第二〇七条第二項は「裁判官は前項の勾留の請求を受けたときは、速やかに勾留状を発しなければならない。但し勾留の理由がないと認めるとき、及び前条第二項の規定により勾留状を発することができないときは勾留状を発しないで直ちに被疑者の釈放を命じなければならない」と規定する。
これらの規定自体を見ても、また「速やかに」とも区別して用いられているところからも、その即時性の強さは明らかであり、この「直ちに」の用語を選んで憲法第三四条前段が弁護人依頼権の内容を規定したことを無視することなど許されない。
(四) 指定の解釈
弁護人依頼権の内容をかくの如くに解した上で、では刑訴法三九条三項の指定と接見交通権との相互の関係を如何に解すべきか。この解釈においても「直ちに弁護人に依頼する権利」という憲法上の権利内容をあくまでも中心にすえて解釈しなければならない。この点については、最高裁第三小法廷判決(昭和五三年七月一〇日)が次のとおり述べている。
「身体を拘束された被疑者の取調については時間的制約があることからして、弁護人等と被疑者との接見交通権と捜査の必要との調整を図るため、刑訴法三九条三項は、捜査のため必要があるときは、右の接見等に関してその日時・場所・時間を指定することができると規定するが、弁護人等の接見交通権が前記のように憲法の保障に由来するものであることにかんがみれば、捜査機関のする右の接見等の日時等の指定は、あくまで必要やむを得ない例外的措置であって、被疑者が防禦の準備をする権利を不当に制限することは許されるべきではない(同項但書)。」
すなわち、指定は時間的制約のある被疑者の取調べ(取調べを受認した被疑者に限られるべきものであるが)と弁護人との時間的調整を図るものとしてだけ容認されるのであって、その場合でも被疑者が防禦の準備をする権利は守られなければならないとしているのである。
従って、この指定は取調べなど直接被疑者の身柄を必要とする場合にのみ、しかも時間的調整の限度でのみ容認されるのであって、この場合でも「直ちに」弁護人を依頼する権利を保障した上での時間的調整でなければならない。
(五) 結論
以上のとおり、憲法第三四条前段の規定自体からその保障にかかる「弁護人等の最も重要な固有権の一つ」という接見交通権の権利の本質的内容を「直ちに」弁護人の援助を受ける権利と解する立場からは、接見を申出た弁護人の接見を「直ちに」実現させ、捜査の必要による時間的調整を図るため弁護人の接見終了時刻に限定を定め、その時限到来後において被疑者の取調べの時間を確保することで調整を図るということでなければならない。
従って、指定はあくまで取調べ時間を確保するために、弁護人の接見終了時限を定める処分の限度でのみ、憲法上容認されるにすぎないまでであって、弁護人の要求があれば取調中であってもこれを一時中断して直ちに接見をなさしめなければならない。
要するに指定とは、ただ弁護人の接見時間が長きに過ぎて取調べ時間の確保に支障を生ずるのを避けるため、その限度で時間的調整としての接見終了時限の定めをすることができるというものに過ぎない。
右の範囲を越え、この見地を否定して取調べ中であればその時間中は弁護人の「直ちに」との接見要求を拒絶することができるのが指定権であるなどと解するならば、これは「直ちに」弁護人を依頼する権利を定めた憲法三四条前段に真向うから反する違憲のものということになろう。
被疑者の取調べを憲法上の弁護人依頼権に優越させて運用するなどは到底許されないのである。そしてこの見地は、先きに引用した最高裁判決の引用文中にも見ることができる。しかも、同判決は、右に述べたところに続けて、
「現に被疑者を取調中であるとか、実況見分、検証等に立ち合わせる必要がある等捜査の中断による支障が顕著な場合には、弁護人等と協議してできる限り速やかな接見のための日時等を指定し、被疑者が防禦のため弁護人等と打ち合わせることのできるような措置をとるべきである。」
として捜査の必要ある場合、つまり指定の要件が存在する場合でも、捜査官に対し、あくまでも速やかな接見のための措置を命じているのである。ここには、取調中であれば弁護人の接見を拒絶してもよろしいなどとする見地は全くない。弁護人を依頼する権利を与えずにひたすら取調べをすすめて、被疑者の供述を書面化し、しかる後に弁護人との接見をさせてもよいなどとする見地は全くないのである。従って、指定とは一定の限度で取調べ時間を得る必要上、弁護人の接見終了時限を定めて弁護人の接見を制限する権利だということになろう。
(六) 以上の見地は、他の面からもその正しさを論ずることができる。
まず、刑訴法二〇三条一項は、司法警察員は逮捕状により、被疑者を逮捕したとき、又は逮捕状により逮捕された被疑者を受け取ったときは、直ちに犯罪事実の要旨及び弁護人を選任することができる旨を告げなければならないとしている。これも憲法三四条前段の保障を具体化した規定ということができるが、ここでも直ちに弁護人選任権の説明をしなければならないと義務づけたのは、弁護人依頼権が「直ちに」依頼できる権利だからである。
また、憲法三八条一項は、「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」と定めている。この規定による保障は、憲法三四条前段の弁護人依頼権と共に、明治憲法下の糾問的捜査構造を戦後弾劾主義へと大きく転換させた根拠とされるものであり、捜査構造の当事者主義化を目指したものである。
しかし、もし弁護人依頼権が直ちに依頼する権利としての実質を欠くならば、この黙秘権は、その憲法的保障を実現すべき根拠を大きく失うこととなろう。黙秘権についての説明こそ、弁護人が最も正しく被拘束者になすことができるのであって、他に弁護人の役割を代替しうるものはいない。「直ちに」弁護人に依頼する権利こそ黙秘権保障の最大の要なのである。
(七) 実務の実態
指定権を右のとおり解する立場は、一般的指定のない場合における実務の実態において、最もよく合致して現に運用されているものであることが見落とされてはならない。
弁護人等が接見を申出た際、捜査官は、被疑者に一般的指定のないときは取調中であってもすぐ取調べを中断して弁護人と接見させているのが殆どのケースである。これで何ら取調時間の確保に支障を来すことはない。ただ、ごく例外的に「先生、接見時間はどれくらいかかりますか」などと尋ねたりして、一定時間が経過したら接見をきりあげて終了して欲しい旨を述べることがある。このようにして弁護人はスムーズに接見をなしえているのである。つまり、一般的指定のないときは、取調中の場合であっても弁護人の接見が直ちに実現され、その終了後に再び取調べが続けられているのが殆どのケースなのである。弁護人と捜査官との時間的調整はかくの如くにしてスムーズになされているのが実際であり、また、このように運用すればいいだけのことなのである。
こうした運用自体を指定権の行使と見るかどうかはさておき、仮りに、右に見たとおりの自然の時間的調整方法を指定権の行使、とまでいうのであれば、右にのっとった方法で接見終了時限を告知すればよいだけのことである。取調時間の確保とは実際その程度のことに過ぎないし、それ以上のものであってはならず、また、むずかしく考え込まなければできないような複雑高等な判断などでもない。「先生、一時間たったら終わって下さいよ」「わかりました」というだけのことに過ぎない。それを指定と見るのであれば、右のようにやったらいいだけのことに過ぎない。これで実際上、合理的に時間的調整が図られているのが現実なのである。
ところが、「特定の事件」になるとがらりと様相が変わってしまうところに問題がある。一般的指定と具体的指定といわれているものがそれである。
(八) 一般的指定制度批判
刑訴法三九条三項の指定は、刑訴法施行と同時に発足した。一般的指定制度、すなわち、あらかじめ一般的に接見を禁止しておいて個別指定書による個別的な禁止解除により接見をなさしめるものとして、検察庁により実施されてきた。そのため、接見指定は、常にこの一般的指定制度を中心にその当否が議論されるところとなり、原判決にも見られるように、この制度が現実を支配し、運用させているため、裁判所の中にもこの制度に乗った上でこの許容範囲で問題を論じていこうとする悪しき現実主義に陥入る傾向が根強くあった。これは「最も重要な固有権」の把握を「直ちに弁護人に依頼する権利」としてとらえることができなかった結果である。
この一般的指定は、原判決のいうが如き、単なる内部的文書だといってすますことのできるものでないことは一審判決が認定しているとおりである。そして、この制度はもともと「直ちに弁護人を依頼する権利」が保障するところと相容れるようなものでないことも極めて明らかといわねばならない。従って、当上告審においては憲法三四条前段及び刑訴法三九条一項の接見交通権が本来の姿をとりもどすことができるよう、憲法に保障された基本的に許容されうるあるべき指定の運用限度について明確な判断を下すことが望まれるのである。
さて、一般的指定については、先に引用した最高裁判決が既にその違法性を明白に宣言しているのである。すなわち、同判決は「被疑者と弁護人等との接見をあらかじめ一般的に禁止して許可にかからしめ」る一般的指定を「違法といわざるを得ない」として、その違法性を宣言している。
この「被疑者と弁護人等との接見をあらかじめ一般的に禁止して許可にかからしめ」という表現自体最高裁判所が一般的指定を厳しく批判する立場に立っていることを物語っているといえよう。最高裁判所は決してこれを内部的事務連絡文書だなどと言ってすませてはいないのである。そしてその根拠は、右最高裁判所が「捜査機関のする右の接見等の日時指定は、あくまで必要やむを得ない例外的措置であって、被疑者が防禦の準備をする権利を不当に制限することは許されるべきではない」「捜査機関は、弁護人等から被疑者との接見の申出があったときは、原則として何時でも接見の機会を与えなければならないのであり、現に被疑者を取調中であるとか実況見分、検証等に立ち合わせる必要がある等、捜査の中断による支障が顕著な場合には、弁護人等と協議してできる限り速やかな接見のための日時を指定し、被疑者が防禦のため弁護人等と打ち合わせることのできるような措置をとるべきである」と判示したところにある。すなわち、一般的指定は接見交通権に関する最高裁判所の右の見解と相容れるものではないからである。
しかし、一般的指定が許されないのは、より本質的にはそれがいかなる場合であっても「直ちに弁護人を依頼する権利」を保障した憲法三四条前段の定める基本権内容に根本的に背馳する点にこそ求められなければなるまい。原則は自由、例外的に制限という趣旨を、右の「直ちに弁護人に依頼する権利」の観点を抜きにして理解すると、例外的な場合には、弁護人の接見を拒絶しておいてその間に被疑者取調をすることが指定であると誤解する余地が生まれるからである。
また、この一般的指定なるものは、指定のもつ意味内容を単に弁護人の接見と取調時間との時間的調整、やりくりの程度のものとは見ずに、捜査の主宰者、最高責任者が参考人や被疑者、共犯者の取調べの進捗情況、自白獲得状況や罪証隠滅のおそれなど、捜査の進展情況を組織的統一的に把握した上で総合的になすべき高度の判断、処分であるかの如く性格づけを与えられ、そのようなものとして主張されているのであるが、この点も厳しい批判を受けねばならないところである。
つまり、こうした考え方によれば、現に被疑者を取調中の捜査官などは弁護人接見との時間的調整判断をなすのにふさわしい立場にもなければその能力をも欠いた者として取扱われる。こうして、検察官以外の現に取調中の捜査官を含め全ての捜査官も、また弁護人の接見要求に直接対応すべき被疑者の留置担当官までもが一律的に接見指定権限の行使を制約せられ、あるいは、この指定権を全く有しないからという理由で弁護人の接見申出につきこれに応じて接見をなさしめるべき当事者能力を欠いた者とされ、このことが同時に責任能力もないとの理論を引き出す根拠ともされ、接見を申出た弁護人は責任を負わぬ公務員らにより、接見拒絶状態を甘受させられることとなる。こうした事態から脱却して接見をするためには、唯一解決能力を有する捜査の実務最高責任者、すなわち捜査主任官との接触を求め、これにたどりつくことが弁護人に要請されるのである。「指定書を持参するか、指定を受けて下さい、そうでなければ私どもではどうにもなりません」という拒絶の壁にぶち当たるのである。
一般的指定をなりたたせる右の理論は、こうして見てくると、それが誤ったドグマに支えられているものであることがわかる。そして、右のドグマが誤りであることは、実際、捜査主任官は弁護人の接見指定をするのに右に述べるような高度な組織的統一的判断などとは全く無関係になしているのが現実であることからも、容易に証明できるのである。
弁護人の接見と被疑者の取調の時間的調整は、最も単純で容易な判断の部類に属するものである。これを最も適切になしうるのは、現に被疑者を取調中の捜査官である。現に取調べなどしてもいないものは、捜査主任官であれ誰であれ、右の時間的調整を適切になどできないし、指定をするにふさわしくないのである。こうしたことからも一般的指定の非合理性と違法性が指摘されねばなるまい。
(九) 留置主任官は責任のない立場といえるか。
憲法三四条前段は、弁護人依頼権の尊重を、まずもって、抑留、拘禁業務にたづさわる公務員自体に対して義務付けたものと解さざるを得ない。にもかかわらず、拘禁業務にたづさわる留置主任官には、指定権がないとの理由で弁護人の接見申出を拒絶しても違法ではないとの解釈をとる者がいる。しかし、留置主任官こそ憲法三四条により最も弁護人依頼権を尊重しなければならないことを義務づけられている者である。従って、留置主任官は弁護人の申出に従い、如何なる場合でも直ちに面会をなさしめなければならない憲法上の義務を負っているものであって、被疑者の身柄を預かり留置する立場にはなく、ただ留置の状態を被疑者の同意を得て利用する立場にしかない捜査官とはその責任の重さにおいて決定的に異なるのである。
留置主任官は指定処分がなされた場合、その接見終了時限の到来により接見を終了させることができるだけであって、弁護人の接見申出にもかかわらず、指定書の不持参を理由に接見を拒絶したり、また、指定権者との連絡がつかぬことや指定権者の指定処分のないことを理由に弁護人の接見を拒絶したりすることが違憲違法であることは、右に述べたところから明らかと言わねばならない。
(十) 指定権は捜査主任官が有するのか。
被疑者留置規則二九条二項を根拠として指定権限を捜査主任官のみに属する権限となし、他の捜査官は刑訴法上指定権限を有するのに公安委員会規則によってその行使を制約させられているかの如く述べる見解や、また、これは捜査の主宰者にのみ属する権限であることを当然の前提とした上で、検察官に送致後は、取調警察官は指定をなしえないものとする見解がある。
しかし、これらの見解は指定の意味内容を単なる時間的調整だけの単純な措置とは見ずに、捜査の主宰者が組織的統一的に捜査の進展情況全般を把握した上ではじめてなしうる高度の判断と解するものであって、誤った解釈に基づくものと強く批判せざるをえない。
刑訴法三九条三項の指定をこれまで述べてきたとおりの単純な時間調整判断であるとするならば、検察官への事件送致により指定権限までもが検察官にのみ移ったなどと解する合理性はないし、格別刑訴法上の根拠もない。そもそも四八時間以内の検察官への事件送致(刑訴法二〇三条一項)の制度の意味自体、送検後も相変わらず警察が被疑者の身柄をかかえ込んだまま取調べを継続している実務の運用の中で、一体何を意味するのかはっきりしなくなってしまっている。
そして、送検後であっても一件記録がすべて完成して検察官の手許にくるまでの間は、検察官自身事件の細かな内容まではあまり知らず、送検後もなお取調を続けている警察官の方がはるかに事情に詳しいことなど極めてよくあることである。にもかかわらず、送検後は検察官が捜査の主宰者であるからという一般論だけを根拠に、弁護人の接見申出に応対すべき一線捜査警察官の指定権限を否定することは合理的な根拠とはなりえない。刑訴法三九条三項は司法巡査も指定ができるとしているのであるが、このことの制度上の意味合いもよく考えてみる必要があろう。送検以前の逮捕段階でも同じことである。現に取調をしている者の指定権を否定するが如き法的根拠としてどうして被疑者留置規則二九条二項が妥当しえようか。
三、原判決批判
1 原判決は、一般的指定を内部的事務連絡文書であるとした。しかし、一般的指定はまさにあらかじめ一般的に接見を禁止して許可にかからしめる点にその本質的特徴がある。一審判決もその旨を認定している。
先に引用した最高裁判決自体が既にその違法を宣告して決着ずみの判例となっている。にもかかわらず、原判決は控訴人の証拠調請求をすべて却下し、証拠調(人証)を控訴審で何一つなさずにおきながら一審判決の一般的指定に対する判断を根拠もなく否定して、内部的文書にすぎないとしてしまった。
原判決の見地に立つと、一般的指定が個別具体的指定を得ぬ限り、これなくしては接見拒絶を受けることが明らかであるにもかかわらず、この根本的な一般的接見禁止に対しては不服を申立てることができなくなって、結局弁護人は、接見申出の都度、そのたびになされる個々の個別的拒否処分や具体的指定に対してのみ、その都度不服申立をせざるを得なくなる。この原判決の考え方は、結局のところ一般的指定のもつ「面会切符制」の本質的部分を容認するのと全く同じ結果となる。個別の指定処分に対する不服申立ができることはもとよりのことであるが、根元の一般的指定自体を、「直ちに弁護人に依頼する権利」を否認する実質をもつ処分としてその無効を宣言すべきものである。
原判決の右判断には、以上述べたところから明らかなとおり、審理不尽の違法があるが、より本質的には憲法三四条前段の解釈を誤った根本的に容認し難い弁護人依頼権軽視の違法があり、また、先に引用した最高裁判決の判旨にも相反するものとして破棄すべきものである。
すなわち、原判決は、第二項で上告人が述べてきた諸問題点につき、上告人がその誤りを指摘した上で批判した見解にことごとく立脚している。
よって原判決は破棄されなければならない。
第四、東谷警務課長及び松本検事の措置の適否
一、東谷警務課長の措置の違法性に関する判断の誤り
1 原判決は、上告人が接見の申出をしてから東谷が松本検察官の指示を受けるまで二八分間を要したことを認定しているが、右程度の時間の経過は、手続をとるに相当な範囲というべく右手続をする間上告人が砂田と接見できなかったことをもって、東谷はもちろん竹田刑事官のとった措置が違法であるということはできない、と判示している。
しかしながら、右原判決の判断は、第一に、上告人が砂田に対して直ちに接見することについてなんらの客観的な障害が全く存しなかったにかかわらず、上告人と砂田との接見を遷延させた違法行為を看過しているものであり、第二に、接見の緊急性と弁護士業務における時間の重要性についての理解の欠如を示すものであって承服できない。
2 上告人が草津署に赴いて砂田との接見を申し込んだ当時は、砂田は留置場に居て少なくとも一時間以内に取調べる予定もなかったのであるから、上告人が接見を申し込んだ時に直ちに接見を認めても、全く捜査に支障がなかったことは原判決も一審判決も認めるところである。むしろ、上告人と砂田の接見を、草津署に上告人が到着してから直ちに認めていたならば、上告人は、同日の午前九時四〇分には接見を終了して草津署より退去していたことは間違いないのである。即ち、前記待たされていた二八分間の間に、接見が終わって帰途についているのであり、このように順調に接見が実現していたならば、上告人と東谷との交渉や、東谷の日常業務への支障もなく、東谷の捜査官に対する電話連絡等の労苦も必要でなく、電話料等も節約できて経費も節減され、また上告人の次に予定の業務にも支障が生じなかったのである。ところが、上告人と砂田の接見を直ちに容認しても捜査になんらの支障をも生ずるおそれがないにもかかわらず、東谷が一般的指定に拘束されて無益無用な捜査官との連絡に手間取って、上告人の接見を二八分間待たせたことになるのであるから、このような場合においても、東谷のとった措置が違法でないとすることは、著しく社会通念に反し、国家賠償法一条の解釈適用を誤ったものと言うべきである。
従って、仮りに東谷課長において捜査官との連絡が必要であったとしても、それは正に内部的な事務連絡であって、その内部的事務連絡の不備を理由に弁護人の接見を遷延させることは許されることではなく、客観的に接見が可能であるならば、まず直ちに弁護人と被疑者との接見を認めておいてから、その後に、捜査官と連絡をとれば足りることである。原判決によれば、弁護人と被疑者との接見を直ちに認めても捜査に対する支障が客観的に全く予想されないような場合でも、留置担当者と捜査担当者との内部的な事務連絡が終了しない限り弁護人の接見を遅延させてもよいということになり、著しく不合理であり、弁護人の接見交通権の機能を警察内部の事務連絡を口実に、著しく阻害することに結びつくのである。このようなことは憲法三四条、刑訴法三九条の解釈上許されないことである。
3 また、原判決によれば、二八分間の接見の遅延は重要でない如くであるが、これは接見の意義に対する無理解を示すものである。一般的に、弁護人の被疑者に対する接見は、被疑者の弁明の聴取、取調における違法行為の監視、勾留生活の指導助言、等のために実施されるものであるから緊急性を要する場合が多い。弁護人の接見が二〇分間位遅れたために虚偽の自白調書の作成を防止できなかったり、捜査官の違法行為を抑制できなかったりすることは常に予想されることであるから、弁護人たるものは、常時接見するに当たり一刻も早く、まず被疑者との接見を実現するように心がけているものである。二〇分間位接見が遅れたために被疑者に対して取り返しのつかない結果を招来することもありうるのである。
また弁護士は事件処理のみならず弁護士会等の公的な職務を遂行しているので多忙な場合が多く、そのような公私共に多忙なあい間に、緊急性が認められる被疑者との接見の時間を確保しているのが通常である。このような困難な業務の中において確保した接見を二八分間も遷延させることは、弁護士にとってその後の業務の円滑な進展を阻害し、信用にかかわる重大な問題である。原判決はこのような弁護士業務の時間的な重要性について一顧だにしていない極めて非常識なものというべきである。
二、原判決の理由齟齬及び事実認定の経験則違反について<省略>